△▼△

とにかく推しに甘い

クイーンを知らない女がボヘミアンラプソディを観た話

・一年以上ぶりにブログを書いた。書き方を忘れている割にはポエム度が上がっている。

 

ボヘミアンラプソディを観たけど、そもそもわたしはクイーンのことをなにも知らなかった。どれくらい知らなかったかというと、フレディの名前も知らなかったし、もうすでに亡くなっていることも知らなかった。もちろんクイーンが四人なのも知らなかった。(威張るところではない)
・基本的に洋画は得意じゃない。登場人物の名前が覚えられないので。あと伝記物も不得手。だから普段であればボヘミアンラプソディは観ないんだけど、ネットでめちゃめちゃ話題になっていたので、(ミーハーですまん)観てみることにした。
・その決断をした11月17日の自分を褒めたい。偉いぞ!よーしよしよし。
・地元の映画館の一番大きなスクリーンが満席だった。そういうことはあんまりないので、びっくりしたのを覚えている。
・映画は素晴らしかった。そういう一つの言葉で片付けていいのかわからないけど、それでもほんとうに素晴らしかったのだ。
・今までクイーンを知らずに良く生きてこれたな。わたし。
・それは大げさって笑われるかも。


・映画を観ている間中ずっと涙が出た。なんで泣いたのか全然わかんなかったけど、ずっと泣きっぱなしだった。他の映画だったらこういうところが泣けた〜とか、こういうところに感動した〜とかあるんだろうけど、そういう感じではなくて、なんだか自然に泣けてくる、という感じだった。
・もしかしたら普遍性とはこういうことを言うのかもしれないな、と思ったりもした。
・(これを言いたいがために普遍性という言葉の意味をググった。必死)


ボヘミアンラプソディって、もちろんフレディの物語だと思うんだけど。でもそれだけじゃなくて、彼らとわたしたちの物語なんじゃないかなあ。
・一人の青年が他でもない三人に出会って、四人になって、クイーンになって、もちろん映画では描かれなかったこと、本当は違うけど事実のように描かれたこと(エイズを発症した頃のこととか)はあるんだろうけど、それらなにもかもすべて引っくるめて、「彼らの物語」そして「わたしたちの物語」なんじゃないかと思う。
・フレディの物語であり、ブライアンの物語であり、ロジャーの物語であり、ジョンの物語であり、メアリーの、ジムの、ポールの物語であり、あの頃クイーンを愛していた、今もクイーンを愛している、そしてこの映画でクイーンを知った人の物語。
・だから映画を観たわたしはきっと、あんなにも楽しかったんだろうな。


・一緒に映画を観た、来日公演にも行ったことのある同僚が、「あのクイーンを追いかけて毎日楽しかった頃を思い出した。ほんとに楽しかったんだよ」と言ってて、それってすごく羨ましいことだ。そうでしょう。だってフレディが亡くなって、四人のクイーンが永遠に見られなくなってしまってから生まれたわたしは、もう2度と同僚が感じたような楽しさを追体験することはぜったいにできない。なにがあっても。
ポケモンGOがリリースされたとき、盛り上がるポケモンど真ん中世代を見て「ポケモン世代じゃないから素直に羨ましい」って言っていたひとがいて、そのときはどういうことかあんまりわからなかった(感覚的に)けど、今ならわかる。
・クイーン世代じゃないから、クイーン世代の人たちがこんなにも羨ましい。
・いいなあ、わたしはもう四人のクイーンを永遠に見られないんだよなあ。


・今は同僚に教えてもらったアルバムを聴いたり、youtubeでMVを見たり、ツイッターでファンの方が作ってくださったタグなどを検索したりする日々。永遠に新規のクイーンファンです。こんにちは。


・もっと昔からクイーンを知っていたかったな(知らなかったのはこっちの落ち度なのでこういう言い方もあれなんだけど)と思ったりすることはある。
・でも、
・2018年、平成が終わる最後の年、何か大きなものが終わる年に、ボヘミアンラプソディに出会って、クイーンに出会えたことが、わたしの運命だったのかもしれない。きっと。もしかしたら昔に出会っていたら好きになっていなかったかもしれないもんね。
・今この時代にこの映画があって良かった。
・そしてクイーンはまだ活動中だということも教えてもらった。北米ツアーが始まるらしい。来日公演とかあったりしないかな。それか行くか、北米。行ったことないし。


・四人のクイーンがいない世界に生まれたわたしが、もう一度四人のクイーンに出会えたことがこんなにもうれしい。今回は映画という形だったけど、また別の形で出会えたりすることもあるんだろうか。VRでライブの追体験が出来るようになったりしたら、それはとっても最高なことですね。2018年にあなたたちのファンになったわたしは、いつかまたあなたたちに会えるって信じています。